[本文より]2006年11月22日(水)。この日は忘れられない日になった。愛知県一宮市中島小学校で6年生に英語を教えたのである。小学校での授業は教育実習以来約40年ぶりであった。一宮市が2006年度から英語特区に指定されたため,指導研究会の助言者として月1回訪れることになっていた。教育委員会の担当者から,話しのついで?に「先生にも機会があれば授業をお願いします。」と言われたが,それほど気に留めていなかった。「儀礼的な挨拶の一つ」と考えていたのである。その反面,「一度してみたいなあ」と心の奥底で思っていたことも否めない。数年前に附属小学校の校長を3年間していたが,結局授業をせずに終わったことが心残りであったのだ。10月の研究会で,「来月の研究会に示範授業をお願いします。この指導案がシラバスでは該当しますのでよろしくお願いします。」と言われ,ついに来るべきものが来たと覚悟した。知人に相談したら,「よくも承諾したものだ。私だったら即座に断りますよ!」と断罪された。他の知人は,「貴兄は断り方を知らないからだ!」と冷たく言い放された。1ヶ月間,言いようのないプレッシャーに苛まされた。
愛知教育大学 杉浦正好