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地名のいわれ-京都府-(14)「九重の花の都にすみはせで,はかなや我は三重にかくるる」との辞世の句を残した平安時代の女流歌人「小野小町」の終焉の地「五十河(いかが)」

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公開日:2005年12月02日
地名のいわれ-京都府-(14)「九重の花の都にすみはせで,はかなや我は三重にかくるる」との辞世の句を残した平安時代の女流歌人「小野小町」の終焉の地「五十河(いかが)」

地名のいわれ-京都府-

(14)「九重の花の都にすみはせで,はかなや我は三重にかくるる」との辞世の句を残した平安時代の女流歌人「小野小町」の終焉の地「五十河(いかが)」

京都市K.U

東京書籍2005年12月作成

[本文より]晩年の小町は天橋立への旅の途中で,三重の里・五十日(いかが・現在の大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し,「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。すると,村に火事が亡くなり,女性は安産になった。再び天橋立に向かおうとした小町は,長尾坂で腹痛を起こし,上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが,上の辞世の歌を残して亡くなったという。村人達は小町を篤く弔い,村の一等地に葬った。

また,このことは「小町ものがたり」として,この地域に伝わっている。

京都市 K.U

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