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《The Study of Budo.-From Martial Arts to Combative Sports-》The Core

  • 実践事例
  • 学校経営
公開日:2007年07月02日
《The Study of Budo.-From Martial Arts to Combative Sports-》The Core



[本文より]

日本の武(芸)術が哲学化した歴史は遥かに長く古い。柔(剣)術もその哲学化した体技の中の一つであり,元来,Budoの中の一局面に過ぎなかった。そして,そのすべてを合わせて,初めて心身ともにバランスのとれた,真の武(芸)術が存在していた。昔は武(芸)術を決して切り離して教えなかった。実戦に適合させるためには,あらゆる角度からの鍛錬が必要だった。まず,「弓で姿勢を作り」,「馬で腰を鍛え」,「剣で右のフットワークを修得し」,「槍で左のフットワークをこなし」,「柔術で最後の仕上げ」を行った。これだけやれば,人間の持つあらゆる筋肉も,神経も,調和がとれて発達し,理想的なものになった。武芸十八般を合わせて,初めてあらゆる面に調和のとれた,心身の「発達」と「均整」が得られるのである。武芸十八般の意味はそこにある。明治の“廃刀令”とともに,危険な技が禁止され,「武の分化」「離脱作用」が起こり,切り離されたものだけが独自の発達を始め,剣道となり,柔道となり,弓道となり,Budoが乱立した。体の発達の仕方も,その道によって偏破し,調和を欠き始めた。さらに,それぞれのルールの制約のもとに,外来的な分化作用“スポーツ化”が起こった。が,それでもその中にはそれぞれ道を名乗っているように,完全にスポーツにはなり切れなかったのである。日本人は,やはりその「哲学面」「精神面」を,Budoの技から全く払拭できなかったのである。それは日本人が,長い歴史の過程の中において,自ら人生の矛盾と対決し,生存競争の醜さと争い,生死の悩みを克服しようとする苦闘の果てに,その「体」と「心」で原理を体得することに成功した「哲学」であり,「宗教」でもある。闘争の技を,このように哲学化した民族も,宗教化した民衆もいない。これは明らかに,日本人のみが持つ稀有といってよい個性であり,他に類型のない特質であろう。

Kimio Sone

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