[本文より]
今日行われている柔道は“講道館柔道”であり,略して“柔道”と言っているに過ぎない。これは時代的にいえば明治15年からであり,それ以前はすべて“柔術”である。明治維新になると当時のことながら,武(芸)術が顧みられるいとまはほとんどなかった。久留米の中村半助は良移心当流の達人であったが,「柔術は飯の種にならず,魚市場の魚を買って,それを柳河(現,柳川市)あたりに売りに歩いていた」という。ちょうどそのころ,警視庁が“柔術の世話掛”をおくようになって,中村半助は警視庁で良移心当流を教えることになった。警視庁には,当時,全国の柔術の主な流派の指導者が集まっていたが,中村半助はその中でも重要な人物であった。中村半助は,新しく興隆した講道館柔道の横山作次郎と試合をした。この試合は,「柔術」が勝つか,「柔道」が勝つか,正に天下分け目の大激戦であり,50分の熱戦が続けられたという。しかし,「ほとんど優劣はなく,いくらか横山に分があった」と,今もって柔道史上に語り草となっている。
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Kimio Sone