[本文より]西暦2000年のお正月も田舎で過ごした。紅白歌合戦は白組の優勝で終わり,番組が除夜の鐘モードになったとき,気多大社から花火が1,000発上がった。さすがは能登随一の初詣参拝神社だと思った。神社がミレニアムを祝うのは変だが,気多大社は様々な神様がいるところなので,きっと今年は異国の神様も参加されたのだろう。
帰省すると困るのは妻である。家族の食事や親族の集まりのとき女性はなかなか座らない。母を中心としてせわしなく女性陣は動き回り,我が妻は小間使い扱いだ。彼女をさらに苦しめるのは言葉である。母を含め,父,おじ,おばの話の半分くらいしかわからないという。父,おじが酒を飲むとさらに理解度が下がる。もう何を言っているかわからない。最近テレビの地方レポートの際,字幕が出る場合があるが,妻も字幕が欲しいといっている。そんなことがあるものかと思っていたが,言語を研究する者としては放っておけない。彼女の気持ちで家族親族の会話を聞いてみた。確かにわかりにくい。地域限定の特有な言いまわしを使い,そして途切れのない話し方でしかも早く話しているのが原因と思われる。長く聞くと酔うらしい。方言酔いが小間使いの身をさらに苦しめる。
学習院高等科 山本昭夫