[本文より]
兵庫県は20数年前より米国ワシントン州と姉妹提携をしていました。その後,双方の教員を派遣し合うという計画の1つとして,双方での高校で1年間授業をするという交換教師事業へと発展しました。日本人教師は,アメリカ人教師とティームティーチングで日本語と日本文化を教えることになっていました。筆者は5代目となる交換教師で,行き先はVashon Island School Districtという小さな教育委員会(以下SDと略)でした。
このSDは,財政面から裏づけの教師を雇えないため,筆者はソロで教えることとなりました。当SDが日本人交換教師を希望した理由は,1988年当時,日本が世界経済において存在感を高めていたため,日本語の重要性を認識し外国語の選択科目として日本語の授業を始めることを決定したためでした。このような状況のもと,筆者はバッション高校の日本語クラスの初代教師となりました。
兵庫県に派遣されたアメリカ人教師は社会の教師であったため,日本語と社会科の選択科目を教えることとなっていました。その科目とは日本文化と世界地理でした。日本文化のクラスは,教材用ビデオや授業計画を準備していたため問題はありませんでしたが,世界地理には悩まされました。当時の文部省の同様な交換教師派遣計画では,事前に十分な研修がなされていましたが,筆者の場合は前任者から情報を得るだけで「異質な学校という文化環境」の中に解き放たれたのでした。当時を振り返り強烈な印象を受けたことを,手短に列挙したいと思います。
兵庫県立星陵高等学校 大西博人
体裁:PDFファイル・3ページ,体裁:WORDファイル・3ページ
Word
doc/45.0KB
pdf/24.5KB
非会員の方は公開から一年を超えた資料は閲覧出来ません。会員登録をすると、全期間の資料を閲覧できます。