[チェコ共和国]プラハ城、撮影年月:2000年12月、撮影者:K.O、撮影場所:チェコ共和国(プラハ)。9世紀末、ベーメン王国プルシェミスル朝が成立し、プラハ城の基礎となる城塞が築かれた。10世紀後半ボレスラフ2世はローマ=カトリック教を受容して司教座を設置し、13世紀末のヴァーツラフ2世はポーランド王・ハンガリー王・クロアティア王を兼摂して隆盛を極めた。14世紀初め、ルクセンブルク朝のカレル1世は神聖ローマ皇帝カール4世となり、プラハは帝国の首都となった。また、プラハ城は三十年戦争(1618~48)の発端となった場所でもある。城には北門・東門・西門があり、正面玄関はフラチャニ広場に面した西門。バロック様式のアティアシュ門をくぐると聖十字架教会、左手北門を抜けるとベルヴェデーレ離宮が見える。また、聖ヴィート大聖堂南面に出ると旧王宮が建っている。大聖堂裏手には聖イジー修道院とバジリカが在り、横の道を裏手にまわると黄金小路へと続く現在のプラハ城にはチェコ共和国大統領府が置かれ、最近引退したハヴェル大統領の執務室もこの一角にある。写真1は、ストラホフ修道院側から見たプラハ全景。写真2は、フラチャニ広場から見たプラハ城の建物群。写真3は、1618年、市役所(現在のプラハ城)に押しかけたプロテスタントが二人の代官と秘書を崖下に突き落とした窓から見た風景。
茨城県 K.O