[巻頭エッセイ]分かる杜甫,分からない杜甫
大上正美(青山学院大学教授)
高校国語ニューサポートVol.3
東京書籍2005年春発行
[本文より]
表題を「好ましい杜甫,好ましくない杜甫」と言い換えてもいい。ただし,分かる杜甫即好ましく思える杜甫とも,分からない杜甫即いやだなあと思ってしまう杜甫とも限らない。安禄山の乱に翻弄される杜甫は,一度は左拾遺の職を与えられたこともあったが,四十八歳のときに食料疎開の旅に出て,五十九歳で客死するまで,家族を引き連れての漂泊の後半生であった。苦難の生涯は確かに杜詩に「沈鬱」を彫り込んだのではあるが,ことはその二字で分かってしまう訳ではない。例えば,比較的安定した成都滞在中に書いた詩,「野人送朱桜(野人 朱桜を送る)」を見よう。
青山学院大学教授 大上正美