東書Eネット

東書Eネット

[巻頭エッセイ]分かる杜甫,分からない杜甫

  • 国語
  • エッセイ
公開日:2005年05月12日
[巻頭エッセイ]分かる杜甫,分からない杜甫

[巻頭エッセイ]分かる杜甫,分からない杜甫

大上正美(青山学院大学教授)

高校国語ニューサポートVol.3

東京書籍2005年春発行

[本文より]

表題を「好ましい杜甫,好ましくない杜甫」と言い換えてもいい。ただし,分かる杜甫即好ましく思える杜甫とも,分からない杜甫即いやだなあと思ってしまう杜甫とも限らない。安禄山の乱に翻弄される杜甫は,一度は左拾遺の職を与えられたこともあったが,四十八歳のときに食料疎開の旅に出て,五十九歳で客死するまで,家族を引き連れての漂泊の後半生であった。苦難の生涯は確かに杜詩に「沈鬱」を彫り込んだのではあるが,ことはその二字で分かってしまう訳ではない。例えば,比較的安定した成都滞在中に書いた詩,「野人送朱桜(野人 朱桜を送る)」を見よう。

青山学院大学教授 大上正美

資料ファイル

A4判たて、2ページ

  • PDF

    PDF

    pdf/73.4KB

非会員の方は公開から一年を超えた資料は閲覧出来ません。会員登録をすると、全期間の資料を閲覧できます。

戻る

おすすめの資料