[本文より]
前回,英語の教員養成のための大学での私の授業実践「英語授業研究」について,その目的等を述べた。授業を計画したり,実施したりすることは,「無数の選択肢の中から,教える内容や方法を選択するという一種の意思決定作業」で,様々な意思決定能力をつける試みを授業の主眼としたのである。まず前提として,次の2つを述べた。1つは,最初から良い授業ができるようになることがこの授業の目的ではないこと。目の前の学習者についての状況が最初の授業では当然把握できていない。そのような状況で普通よい授業ができるわけがない。重要なのは,最初に授業がうまくいかなかったとして,その後,どうやって授業を改善し,立て直していったらよいかを考えることができるようになることである。もう1つは,一所懸命授業の計画や実施に打ち込んでどのような意味があるのか,その結果が,ただ生徒の授業内での反応が変わるだけなのかと考えるなら,今後教師にならない方が良いということ。生徒の反応が変わること,これに喜びを見い出せるかどうかが自分に教師としての適性があるかないかの試金石であると訴えた。
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山梨大学助教授 古家貴雄