[本文より]今から30年も前のことです。当時,国立の附属中学校で教えていたころのことです。 国からの勧めもあったのでしょう。その学校で,帰国生を受け入れることになりました。当時は,大変珍しいことで,こんなことがと思えるいろいろなことがありました。
応募者が結構いましたので,報告書や面接で選考しなければなりません。報告書といっても,日本人学校出身者ならまだしも,現地校だと表記は全部英語で書かれています。そうなると,否応なしに英語科の先生が駆り出されます。選考委員会とは名ばかりで,英語科の教師にすべて委ねられます。
日本橋学館大学 下村勇三郎